自由に見て、自由に感じて、自由に味わう生活を少しずつ取り戻して行きたいなぁと思いました。
2014年10月28日火曜日
2014年10月19日日曜日
ありがとうキャンディー
おととい、10月17日にキャンディーは星になりました。
うちの家にやってきて14年と半年、ボクの人生の半分以上の時間をいっしょに過ごしてくれました。時間が経つのは本当にはやいもので、いつの間にかキャンディーが一緒にいるということがボクや家族にとって当たり前のことになっていました。
けれどもこの3日間でいろいろな思い出を振り返ってみると、どの思い出にもキャンディーがいて彼女の存在がいかに大きいものだったかを改めて感じました。
〜縁があってうちに来ることになったキャンディー。
手だけやたらでかくてぽわぽわした赤ちゃんキャンディーはスクーターのハンドルにぶら下がったトートバッグの中にはいってうちにやってきた。
おもちゃであげるぬいぐるみは一日も保たずにやぶかれるし、庭に穴掘るし、とにかくわんぱくで家のフローリングは傷だらけ。
そんなキャンディーも工藤家の一員として英才教育を受けるため一年間訓練所に。
まだ小っちゃいのに訓練所で頑張ったキャンディー。
もちろん帰って来たキャンディーはお利口さん。けどボクの言うことは今まで通り無視。
ボクが小学生の間は家の庭でいっしょにサッカーをしたり、飼ってたウサギを家の周りをグルグル走り回って追い回したり。
そして小学4年生、ボクと両親は1年間オーストラリアに。その間もひとりで留守番してたキャンディー。日本に帰って来た時におじいちゃんの家までむかえに行った時の鼻で鳴きながら飛び回って喜ぶキャンディーの姿が忘れられない。
旅行にだって沢山いった。
鹿児島のキャンプでは川の石にちょこんと座って釣りをしてるボクの監視。
倉敷にも一緒に行った。
広島にも行って一緒にフェリーで宮島もいった。
おとなになったキャンディーはずいぶんと落ち着いて、人見知りをしないきれいなお姉さんになった。散歩に行くと大抵だれかに声をかけられる。
バナナやビスケットをくれるおじさん達にも愛想良くふるまって、おやつをもらうとクルッと振り向いて帰ろうとする。外面よすぎ。
そんなキャンディーは家でもいい子だった。
基本クッションで寝てるかなにか食べてるかのどちらか。だけれど、朝はお父さんの目覚まし係だったし、ケーキやパンを焼くお母さんにとっては試食係だった。
家族のだれかの体調が悪かったり、機嫌が悪いときはすぐに察して横に駆けつけてくるキャンディー。ビショビショの鼻でぐいぐいつついてきてみんなに元気をくれた。
好物は、ドッグフード以外全部。けれど特に好きだったのはお母さんの作るパンとケーキ、羊羹、カステラ、バームクーヘンといった高級菓子に分類される物、車エビ、マグロの中落ち、さしみ。
食べる?って言葉にはやたらと敏感で、耳をピクピクッって寝ながら振り向くキャンディー。お菓子の袋を開ける音やコーヒーを入れる音がしたら階段を上がってくる寝坊助キャンディー。
でもキャンディーも年をとってきたのか次第に階段の上り下りが難しくなってきた。耳も遠くなったけど、それでもお菓子の音には反応して上がってきてた。
本当は耳が遠くなったフリをしてめんどくさいボクを無視してたのかも。
寝る時間も前より増えて一日の半分くらいは寝てたかもしれない。
それでもキャンディーは僕たちに愛をくれてたし、ボクらの関係は何も変わらなかった。
写真をみるとよく分かるんだけれど、僕たち3人の間にはいつもキャンディーがいた。
お父さんがソファーでテレビを見ていてボクがパソコンをいじってるときも間にはキャンディーがいた。キャンディーが居たから会話も増えた。どうでもいい事でもキャンディーに話すだけでぜんぜん気持ちが楽になった。もちろん家族間の会話も増えた。
今思うとキャンディーはうちの家族の中心だったんだと思う。〜
キャンディーとのたくさんの思い出を書き出してみたけれど、これでもまだ全然書き足りません。14年という時間はとても長いもので、思い出せない記憶だってあります。
「キャンディー」という名前を付けたのはボクだけれども、なんでキャンディーなのかははっきりとは覚えていません。でも綿菓子のようにほわほわして毛並みのいいキャンディーにはぴったりな名前だったんじゃないかと思います。
でも、そんなキャンディーがいなくなったのかと思うと寂しくてしかたがありません。
ボクはまだキャンディーの居ない家に帰っていないので実感がなくて不思議な気持ちだけど、現実と向き合っている両親のことを考えるととても辛くなります。
いつも日本に帰ると玄関のドアを開けるとキャンディーが待っていて、写真を撮るのが恒例だったのにこれからはそれもできないと考えると一気に感情がこみ上げてきます。
けれども、いつまでも下を向いたままではいけないなと少しずつ思うようになりました。
こころにすっぽり穴が空いたような気持ちだけど、それを理由に何かが手抜きになるのはキャンディーに失礼だし、辛い現実だけれども命あるものにはかならず終わりがある。
ボクにもいつ死が訪れるのか分からない、だったらキャンディーがそうだったように毎日を一生懸命生きて人生を生きぬくのが一番なのかなと。
そして大切な事は今のこの気持ちを忘れない事。
そのためにも今日この文章を書くことを決めました。
キャンディー、まだまだキャンディーの元に行くに値するような事を成し遂げられてないからそっちで会えるのはまだ先になるだろうけど、そのときは天国の玄関でしっぽを振っていつもみたいに迎え入れてください。
ありがとうキャンディー
長くなったけれど、さいごに一曲。
この曲は2年ほど前にたまたま出会った曲。かなしい歌詞で一度聴いたっきりキャンディーがいなくなるまで聴かないと決めてたのだけれど、とうとうその日になってしまいました。曲のビデオに出てくる犬も、優しい顔をしたゴールデンで年も14歳だったみたい。
重なる部分が沢山あるから辛いけれど、ペットを飼う人間だれもがいずれ直面する「その日。」きちんと受け止めるのも飼い主の役目なのだと思います。
犬を飼っている人、同じ境遇にある人、毎日を大切にして接して上げて下さい。
2014年9月19日金曜日
2014年9月13日土曜日
そもそも留学ってなんなの?
<Leica M6, Voigtlander Color-Scopar 35mm f2.5>
うれしいことに最近ボクの周りは留学に行く/行った人が増えてきている。これは日本の友だちに限ったことじゃなくてメルボルンの友だちも含めてだ。
そういうボクだって一応「留学」というかたちでここメルボルンに長々と居残ってる。
留学してる時間だけだったらまわりの人よりは経験があるせいか少なからず留学の相談を受けることがある。そして相談してきた人たちには必ずといっていいほど留学を勧めるようにしている。もっと言うと留学というより「海外に行って生活をすること」を。
普段はその理由をそこまで深く話さないのだけど、せっかくだからこの機会にボクの考える「留学」をシェアしようかと思う。
あくまでもボクのね。
・留学する≠英語ができるようになる
これは英語に限らず留学する国の言語すべてに共通する話だと思うのだけれど、自分が英語圏にしか留学したことがないので英語を基準として話したい。
そもそも「英語ができる」ってなんだ?
スムーズな会話ができること、文章がすらすら読めること、何をどのレベルで「できる」と定義するのかはなかなか難しいことだと思う。
けれども、上に書いた話すこと、読むこと、書くこと、そういう一般的に「英語ができるようになる」の基準とされているものは正直留学しなくても身につけられる。
きちんとしすぎて間違っているんじゃないかと感じるくらいきっちりとした文法をを教え込む日本の英語教育、単語だって大学受験で覚える英単語の数は尋常じゃない。そんな環境が整っている国だ、それなりに勉強すれば「英語はできる」ようになる。会話だって英会話教室があれば通信教育もあってネイティブと話す機会は山ほどある訳だし、金銭的にも留学するのに比べたら安く収まるはずだ。
じゃあなにをするのが留学なのか?
ずばり、異国で生きることが「留学」だとボクは思う。
・異国で生きるって?
これまたかなりブロードで曖昧なことをでっかく書いてしまったけど、要するに「この留学で英語が話せるようになるんだ」という概念を取り除いた生活をすること。
それはカフェに入ってコーヒーを飲む事だったり、招待されたパーティーに顔を出したり、といったありとあらゆる日常生活。ピンと来ない人も多いだろう、けれどこのどうでもないような日常を当たり前のように過ごしていくことがまさしく「留学」なのではないかと思う。
ここではじめに書いた「英語ができるようになる」の話に戻りたい。
不思議なことにこの異国の地での生活を上手に送れるようになってくると次第に英語力も上がってくる。留学や海外に行ったことがある人に聞いてみるといい、彼らは何かをするために英語を勉強したという経験より何かをしたから英語を勉強できた経験のほうが多いのではないだろうか?
つまり「英語ができるようになる」というのは留学についてくるオマケみたいなものなのだ。
・どこに留学したっていいんじゃない?
これは特に大学の留学システムの一環で留学を検討しているひとに多い質問。ボクは正直どこに行ったっていいんじゃないかと思っている。
こんな事を書くと、また他人事の様に扱ってというような反感を買う羽目になるのだが、これは自分の経験をもとに言ってることで決して考えていない訳では無い。
ボク自身はじめてメルボルンで通った学校は名前も通らない小さな男子校だった。
留学生はボクが初めてで、システムだって整っていなかったし、あとあと気づいたのだけれど、結構悪ガキが多いということで有名な学校だった。
けれど、この学校に通ったことがボクの留学生活にとても大きな影響を与えたのは確かだし、ここに通えたから今のボクがある。
たしかに大学生にもなると、留学先の大学のネームバリューも気になるかもしれないけれど、プロフィールは意図して作るものではないと思うし、どちらかというといろいろな経験を通して自然とできあがったプロフィールの方が評価されるんじゃないかと思ってる。
ましてや母国の大学に籍があっての留学なんだったらなおさら。そんな心配をしている時間の方が勿体ない、とりあえず行かないと何もはじまらない。
・お金
お金のはなしも少しだけ。
だいたいだれでもが口を揃えて、留学は金がかかると言う。
確かにかかります。
でももしあなたが家族のひとから行きたいなら行ってもいいという金銭的なサポートをしてもらえるラッキーな人なのなら迷ってる暇はないと思う。是非その言葉に甘えるべきだ。もしそうでない場合でも留学は不可能ではない。半年や一年行くから「留学」なのだろうか?一ヶ月でも現地の生活をすればそれは「留学」だとボクは思う。
一ヶ月くらいだったらバイトでも何とかできる金額で収まるはずだ、奨学制度を行っている学校や組織も少なくはないはずなのでチャンスは決してゼロではない。
というよりその肩に掛けているバッグやポケットに入れてるブランド物を買うお金があるならば行けない理由なんてどこにもないはず。
あと留学中のお金の使い方について。
ボク自身長い間メルボルンにいるのでたくさんの留学生を見てきた。
そのなかでも上手に留学できてなかった人に共通するのは「ケチ」だったこと。
少し言い方が悪いかもしれない、けれど海外まできてケチなのはむしろ勿体ないのだ。
コーヒーやビールの一杯二杯で躊躇してたらなにも始まらない!そのグラス一杯のビールが生む出会いや経験を考えるとむしろ安いくらい。フルコースのディナーに招待されている訳じゃないのだから招待されたイベントには少し財布が痛くても思い切って行くべきだと思う。きっといいことがあるはず。
・海外の日本人コミュニティーは案外おもしろい
最後に留学先での日本人との関わり方を話して今回のブログを終わろうと思う。
個人的には、ライフスタイルからどっぷりオーストラリアにはまっているので日本人との関わりはほとんど無いのだが、決して無い訳では無いし、特に避けているわけでもない。
ボクの場合はただ巡り会う機会がなかなかないだけ、だから一つ一つの出会いは大事にするように心がけている。留学に来て日本人グループと固まってしまうのはよくあるNGパターン。特に語学学校だったりはどうしても現地の人間が少ないので固まりやすい。
たしかに海外にでてきて心細いときに同じ国の人が近くにいると安心する、けれど勇気をだしてその輪の中から一歩飛び出してみよう、新しいホームがあなたを待っている。
異国の地で自国のシェルターの中に暮らすのは安心だけれど、外の空気のおいしさは出てみないと分からないもの。
かといって、日本人との繋がりを切ろと言っているのではない。
海外に出てきている日本人はユニークで面白い考えを持っている人がたくさんいる。そういう出会いはとても大事だと思うし、これもまた留学のメリットなのではないだろうか。
要するに重要なのは日本人コミュニティーの中だけに留まらないようにすること。
海外まで出てきても「井の中の蛙」状態のひとはたくさんいます。なるべくそうならないように勇気を出して自分を外の環境にexposeしよう。
読み返すとなにかと偉そうに書いているように見えるけれどこれがボクなりの留学に対する考え方。
決してこれが正しい訳ではないし、そもそも留学に正しいも正しくないも無いと思う。それぞれに違った「留学」があるはずだ。ただボクのこの記事を読んで、すこしでも留学へのかたい考えがほぐれてこれから新たなスタートを切ろうとしているひとたちの参考になれば嬉しい。
周りの人が留学に行くことはボクにとってとても喜ばしいニュースだし、すごくいいインセンティブになっている。メルボルンに来て早6年、緊張感の全く無い毎日を送っている自分がいかにうまくこの国に溶け込めたかを考えるとこれまで頑張ってきたなと思える一方で、そろそろ新たな刺激を受けるときなのかなと考える今日のこの頃。
久しぶりにそんな事を考えて文章にしてみました。
おわり
2014年9月9日火曜日
気持ちがいい一日でした
今日は大学の研修で毎度お馴染みDookieへ行ってきました。
普段は1週間の泊まりだけど、流石に往復6時間の日帰りはつらい。
ほとんどバスに乗ってるだけ(笑)
それはともかく、キャノーラがかなりいい具合に育ってた!
こんなこというとまじで農学部の人っぽいけど、ボクは植えてもなければ管理もしてなくて観察するだけw
ただ単に先月見に来たときよりもぜんぜん育ってて花も咲いてて凄かっただけ。
にしても、オーストラリアって広いね。
なんかスケールが違いすぎて世界観変わる。
2014年8月31日日曜日
long while.
長かった。
ココロのなかのモヤモヤがひとつポッと音を鳴らしてはじけた。
こういう8月の終わり方も悪くないのかもしれない。
春のにおいが鼻をくすぐる、ちょびっと冷たい冬のかぜが吹いた。
2014年8月7日木曜日
紹介が遅れました、初めてのマイカー。
実は去年の11月ごろにこっそりとクルマを手に入れていました。
しかも前にもブログで紹介したことがある憧れのクルマ、VWのGOLF MK2 GTI。
今ワーゲンのラインアップとして販売されているゴルフが7代目のモデルだから5世代前のモデルにあたります。
ちなみにGOLF Ⅱは1983年〜1992年まで製造されていたロングセラーで、ボクのは最終ロットにあたる92年製1.8リッター直4SOHC、賛否両論ある"ビッグバンパー"のGTI。
比較的きれいでコンディションのいい車体に当たったと思う。
そんな夢のクルマを手に入れた訳だけれど、乗り手も変わればクルマもちょっとは変わらなきゃいけないようでこの前初のメンテナンスへ。
特に大きな問題は見つからなかったけれど一応消耗していたパーツを取り替え。
良心的で作業も丁寧な日本人のメカニックを紹介して貰うことができたので一安心。
やっぱりクルマは自転車と違って部品の値段も高いのでちょっと財布に響くけれど、まぁ好きなクルマだからまだ許せる。
これが愛着もないエコカーなんかだったらギリギリまで修理なんか出さなさそう。
でも新車の日本車なんかだったらそうそう修理の必要はないか(笑)
そんな訳でマイカーの紹介はとりあえずこのくらいで。
一応新しく”Car stuff”というタグを作りました。
これからはたまにGOLF MK2の日常も綴っていこうかと思っております。
どーぞよろしく。
バーガー食べてきた。
最近会えてなかった友だちのJamalに会ってきた。
勉強会という名目で夜に集まったのだけど、45分足らずで集中力が切れるのがオチ。
いちおう勉強で始まったものの結局はビールで終わる。笑
しばらく会わない間にイケメン具合が増してたり、イヌ飼ってたり、動画プロダクションの仕事の依頼が増えたりいろいろニュースづくしで楽しかった。
結局飲んだくれて運転して家に帰るのが不可能になったのでJamal家でクラッシュ。
イヌと戯れながら寝るのも悪く無かった。適度な癒しってやつかw
寝癖MAXでゴメンナサイ。翌日は特に予定が入ってなかったから昼過ぎから行動開始。
寝起きのビールと共にお昼ご飯調達へ。
ここ最近メルボルンでは空前のバーガーブーム、あちこちにバーガージョイントができてる。そんな訳でFootscrayに最近できた8 bit burger喰ってきました。
店内いろいろと8bit。ファミコンのあのモザイク調みたいなあれです。
ボクはお約束のダブルパティで注文、激うま。
バーガー・アドベンチャーはつづく。
そんな具合に久しぶりに友だちとのんびり過ごした1日でした。
おーわり。
2014年7月30日水曜日
ハンバーガー食べたい。
アメフトは全く分からないけど、NFL SUPER BOWLのハーフタイムショーは面白いから毎年チェックしちゃう。
見たことある人無い人いると思うけれど、とにかくスケールがでかい!
まさにそれ自体がアメリカを象徴しているような。
なんたって、スーパーボールのブランド価値はオリンピックやワールドカップより凄いんだから(笑)
そんな訳で今年はBruno Marsでした。とレッチリ。
毎年、大物アーティストがパフォーマンスをするんだけれど、まぁ大抵の大物は過去に出演してる。
2012年のマドンナはお金かかってる感ありすぎて個人的に凄いと思った。
けれどやっぱりベストは1993年のマイケルジャクソン。
とにかく雰囲気が違いすぎる。
演出だって今に比べれば無いに等しいクオリティーだし。。。
とにかく会場が彼を中心にまとまってる。
流石、King of Pop。
しかしいつSuper Bowlの動画をみても、アメリカは特殊な国だな〜っていうのが最後まで残る感想。
ほんとうに変わった国だと思う。アメリカっぽいといえばそれだけなんだけど、、、
それにしても今年のBruno Marsのパフォーマンスを見ても思ったけど、年を追うごとに方向性がよく分からなくなってきている気がする。
やっぱりアメリカは特殊な国だ。
タイトルと全く違う内容で申し訳ない。
あーハンバーガーが食べたいなぁ。
2014年7月27日日曜日
multiply
音楽のジャンルでポップとかアコースティックとかは普段あんまり聴かないんだけれど、Ed Sheeranは結構聴いてる。
そんな彼の新しいアルバムから何曲か。
ファーストアルバムの+に比べるとオリジナリティーが無くなった感じがするけど、やっぱりいいね。
2014年7月17日木曜日
じゃぱにーず・らっぷ
メルボルン、
すなわちオーストラリア、
すなわち南半球、
すなわち冬なう。
とてつもなく、夏が恋しい。
もともと、日本語ラップは聴かない人間なのですが、Evisbeatsのゆるい感じのジャパニーズヒップホップを知って以来ハマっていろいろ聴いてみてるこの頃。
そんな時にyoutubeで知った「りんご音楽祭」
これが本当にボクの好みで、ストライクゾーンのど真ん中。
なんとこのりんご音楽祭の開催地は長野県松本。
松本の「住む」・「食べる」といった魅力が東京にある「利便性」や「経済的優位」を上回っているということに改めて気づかされたプロデューサーが松本という街の活性化を願って始まったのがきっかけ。
すばらしい。
サマーソニックとかもいいのかもしれないけど、これがやっぱり野外フェスでしょ!
こういう空気感たまらない。
今年も9月に開催される予定。この日のために日本に帰りたいくらい。
なんか野外フェス行きたくなってきた。
2年前に行ったStrawberry fieldsがなつかしい。
暑かったな〜。
冬休みも今週いっぱい、来週はまた1週間田舎のほうのキャンパスで集中合宿。それが終わったら新学期!思いっきり遊ぼう!
2014年7月15日火曜日
Tangled.
落ち着かない。
とにかく落ち着かない。
冬休みなのに、色んな「焦り」でなんかいっぱいいっぱいになっちゃってる。
大学3年生の半ばにもなるとこうなるものなのかねぇ〜。
就職活動なんて言葉が日本みたいに浸透していない国に住んでいるせいか、一気に襲いかかってきた将来と言う課題にあたふたしてもういっぱいいっぱい。
普段手にしないような難しそうな本を数冊同時進行で読んじゃったりしてるし。
それに加えて、プライベートだったり、新学期の準備だったり、バイトだったりがあるからもうなおさら。
宇宙兄弟で例えるなら「コロコロムッタ」状態。
あっちへコロコロ、こっちへコロコロ。
どうなることやら。。。
いい方向に転がっていればいいんだけど。
2014年7月7日月曜日
センスの向こう側。
世の中、ワールドカップ、ウィンブルドン、ツール・ド・フランスとスポーツで盛り上がって熱くなっているけれど、そんな時でも至ってクールなジェントルマンたち。
テニスもサイクリングもジェントルマンのスポーツ。
けれどもロンドンで行われるウィンブルドンはさらなる気品を感じる。
と言うわけでウィンブルドン、オーストラリア代表の19歳ニック・キリオスがナダルを破って注目を浴びているけれど、やっぱりウィンブルドンと言えばロイヤル・ボックスが気になる。
ロイヤル・ボックス、つまりイギリスの王室と一緒に試合を観戦するスペシャルな席。
もちろんロイヤルファミリーに限らず有名人も多々。
そこで今年のロイヤルボックスのベストドレッサーたちがオーストラリアのGQにて紹介されていたのでピックアップ。
(photos: GQ)
ベッカムのジャケットがやばくいい。
顔がいいからなに着ても格好いいんだろうけど。
次にスーウォーズファンならメイス・ウィンドゥでお馴染みサミュエル・L・ジャクソン。
ネクタイと眼鏡をシアサッカーのパンツに合わせるあたりが流石だな〜と。
そんで真ん中の写真、実は王室の一人でマイケル・オブ・ケント。身位はプリンス、王子。
文句なしのファッション。グレーのジャケットはダブルブレスト、ブリティッシュや。
と見せかけといてシャツは今流行りのビッグギンガム、タイはウィンブルドンカラーのパープル&グリーン。文句なし。
ただこれは凡人にはできないスタイリング。
品格ある人間のファッション。
地位があってのファッション。
センスの向こう側には何がある?
服装だけではジェントルマンにはなれない。
2014年6月23日月曜日
Done and Dusted
やっと終わりました。
っていうほど長くは無かったけれど、まぁ勉強嫌いなボクには十分長く感じた試験期間も先週の木曜日で終了!
メルボルン大学の試験はRoyal Exhibition Buildingっていう1880年に建てられてメルボルン万博の会場にもなった世界遺産に指定されてる建物で行われるんだけど、3年目にもなると感動も薄れてきて、早く出ることしか考えられなくなってきた。
あ〜メルボルンも早いものでもう6年目。
まぁまぁとにかく試験が終わってシアワセ。
もちろん終わった瞬間にビール!
今回はなんかノリでボーリングしながら(笑)
日本に比べると細くて短いレーン、アルコールが回ってくるにつれて増えるガーター。
おもしろかった。
4人で行ってJug10杯を飲み干す。ピッチャーっていうのかな?
結構酔っぱらったので5時には解散。
しかし、シアワセは続くww
今度は高校の時の友だちと引っ越し計画の会議ということでチャペルStにてthirsty thursday!
$4のスピリットを飲みまくる。
その夜は久しぶりにクラクラになって帰宅。
てな具合に最近は飲んでるかバイトしてるかのどっちか。
ん〜シアワセ。
2014年6月16日月曜日
PROUD TO BE JAPANESE
ワールドカップ2014
惜しくも初戦に敗れた日本。
しかし、試合に敗れた日本サポーター達の試合終了後の行為が海外メディアに高く評価されている。
どうやら試合終了のホイッスルがなったあともスタジアムに残った日本人サポーターたちが、自分達の応援した観客席をキレイに片付けていた模様。(参考:Yahoo! sports)
ヨーロッパのサポーターなんて試合に負けたらチケットも破り捨ててスタンドを散らかして帰るのがあたりまえ。
そんな中で試合に負けても観客にお辞儀をして敬意を示す日本選手たち、スタンドを来た時よりもきれいにして帰るサポーターたち。
本当に素晴らしい事だと思う。
こういう事は日本人として誇りに思うべきだと思うし、これを知って改めて日本人として恥の無いように生きていこうと思った。
ガンバレ日本!
「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」
2014年6月14日土曜日
2014年6月13日金曜日
最近はというと。
どうでもいいボクの近状。
・自転車に再び
ずっと乗りたかったんだけれど乗る人がいなかった。けど最近ピストに乗ってたころの友だちがロードバイクを買って乗りまくる毎日。
ついには禁断のウェア、Raphaにまで手を出してしまう始末。
結構乗るようになったけれどまだまだヘナチョコ、上下で安いママチャリ5台くらい買えちゃうサイクリングウェアを買うってどういう事よ。
モチベーションアップのためと自分に言い聞かせてる。笑
でも朝6時に起きて乗ったり、5時間くらいで130km乗ったりお陰で充実。
・クラフトビール
前からちょくちょく飲んだことのないビールを試してはいたものの、最近は色んな種類を一本買い。
意外にもオーストラリアはクラフトビールが豊富!
個人的にホップが強いIPAやダブルIPAが好きだからそれ中心に買ってはいるけど、最近流行りのブライトエールだったり、オーストラリア産のケルシュ風も試してみたりいろいろ。
けどIPAたぐい(特にWIPA)はアルコールの度数が結構高いからビール一本で酔っぱらうことも多々(笑)
別にビールの味を評価できるほど通じゃないし、したいとも思わないけど個人的に美味しいと思ったビールはこれからたまに紹介しようかなと。
オーストラリアに来たときのビールガイドにでもなればいいかな?w
・試験期間
なう。
今は自転車の誘いも断ればビールも飲めない状況。
先週まであったココロの余裕が今は0。
バイトも休みもらって時間はあるはずなのになかなか進まないのが学生の悩み。
けどフェールできないという日本からのプレッシャーww
まー何とかせねば。
まぁこんな感じかな。
2014年6月6日金曜日
「あの頃はよかった」の続きはなんだ
「あの頃はよかった」
良く聞くことば。
最近よく目にする復刻という文字。
結局はなにも変わってないんだ。あの頃から。
とくに現代人の僕らに昔のモノはステキに見える。
というよりむしろ現在のモノより格好いい。
デザイン、スタイル、ファション、ミュージック etc...
でも、そんな過去に生きていた人たちはどうだったのだろう?
彼らも過去へ縋ることがあっただろう、けれど未来への期待の方が大きかったのではないだろうか?
過去を知ることはとても大事だと思う。
過去があっての今があるから。
けれど過去にとらわれすぎてはいないか?
過去に縋って未来はあるのか?
未来の話をしよう。
未来予想図を描こう。
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」
2014年6月4日水曜日
夏休みの思い出 カンボジア 〜カンボジアのリゾート〜
ゆっくり更新中の夏休みの思い出カンボジア編だけど、今回は最近日本でも紹介され始めてる?カンボジアのリゾート、Sihanoukville (シアヌークビル)に行った時のことでも。
カンボジアと言えば、シュムリアップとプノンペンって感じ。でもカンボジアにも隠されたリゾート地があったのさ。
とはいっても日本人にあまり知られていないだけで、バッパー旅行大好き民族オーストラリア人の間では意外と有名。
そんなシアヌークビルは、プノンペンからバスで4時間ほど。
空港もあるみたいだけど飛行機がでているのかは知りません、安くて悪路をバリバリ走行するバスをオススメします。笑
今回の旅行で国内の移動はすべてバスだったんだけれど、さすがにシュムリアップープノンペン間より利用者が少ないせいかプノンペンーシアヌークビル間は今までの大型バスとは違ってマイクロバス。
石だらけの線路を横切ったり、穴のあいたアスファルトの道路を走ったり決して乗り心地は良くなかったけれど4時間弱だしとにかく車窓から見る風景に圧倒されすぎて気がついたらシアヌークビルに着いちゃってた。
当初の予定では値段の安いホステルに泊まるはずだったけれど、いろいろありまして多分シアヌークビルで1,2の高級リゾートホテルに泊まることに(笑)
と言うわけで、バスストップからトゥクトゥクに乗ってそのホテルまで行くわけですが、ドライバーが信じてくれないww
たしかにぼろぼろの靴にバックパックという見るからにラフな学生4人組。たしかに疑われてもまちがいないか。
まぁなにはともあれホテルまで送ってもらい、一息つこうとしたところで今度はこっちが度肝を抜かれる!
ホテルの前にドーンとロールス・ロイスのファントム(定価5000万円)がとまっているではないですか!
さすがになめてかかっていた僕ら4人、一気に場違いなところに来てしまったんじゃないかという気持ちに包まれました。だって日本でもあまり見ない車なんだもん、ネオヒルズ族専用車ですよ(笑)
場違いな空気はホテルの中に入るとさらに大きくなり、フロントにも疑われる始末。
さらには予約者リストに僕らの名前が無いというのだ。
というのも僕たちはとある事情でこのホテルのオーナーのゲストという待遇だったのでレジストレーションがきちんとされていなかった模様。
そこでそのオーナーのゲストだという旨をフロントの女性に伝えると、なおさら怪しまれる。オーナーの名前をドロップした瞬間のフロントにいたスタッフ全員の引き締まった表情はいまもわすれない。
確認の電話を入れる女性スタッフ。。。クメール語なので理解不可w
電話が切れるとスタッフの表情と態度が一変して急なVIP待遇のはじまり。
スーツケースですらない僕らの汚くて重いバックパックを運び始めるスタッフたち。
いやー「名前」ってすごいなぁと改めて実感。
案内された部屋はスイートではないものの十分立派なツインルーム二つ。
そして部屋のドアをあけるとそこにはプライベートビーチが。
贅沢すぎる。僕たち大学生ですけどなにか?
すっかり気持ちはセレブ。
着いた瞬間から海ではしゃいではビーチサイドのバーで喉を潤すの繰り返し。
客層もアジア系がメインでけっこう静かな感じ。
そんなシアヌークビル初日の晩ご飯は例のホテルオーナーに連れて行って貰うことに。
ホテルから車で10分ほどの所にあるレストランやバー、クラブで賑わうビーチへ連れて行って貰い砂浜の上でシーフードのグリルを戴く。
ホテル経営やマレーシアからカンボジアに移った理由、カンボジアのあれこれをいろいろ教えて貰いつつビールもどっぷり飲んだところでクラブに連れて行かれる僕ら4人。
さすがバックパッカーの聖地、世界中の人が酔っぱらって踊ってる、国籍なんか関係なしにパーティー!
そんな具合でシアヌークビル1日目終了。
二日目、
贅沢にも起きるなりなんなり海へ飛び込む。
お腹がすくまで海であそんだり読書したりして、お昼頃に散策開始。
初日の夜と同じビーチに食べ物を探しにトゥクトゥクでGO!
夜とは少し違った感じのビーチにはレストランのほかに屋台も並んでいて美味しそうなシーフードが沢山たべられる。
特に美味しかったのがこのタコ!
レストランでもシーフードがメインでどれも美味しかった。
食事と共に昼間っからビールを飲みお腹いっぱいになったところで一度ホテルに戻って夜に備える。
もう極楽生活である。
そして日が沈むと本当のシアヌークビルが姿を現す。
バンコクにでも居るんじゃないか?というぐらいのネオンが光り、パーティーミュージックが海に向かって響いている。
STRAYA CUNT! 僕たちのパーティー魂が黙っていられるはずがない。笑
気がついたらホテルにいました。笑
そんなこんなで二日目も終わりシアヌークビルともお別れ。
帰りもバスで帰る予定だったけれど、これまたセレブな僕たちはとある理由でプノンペンまでタクシーを手配してもらえることに。
ちなみにプノンペンまでタクシーでおおよそUS$70くらい。4人で分ければバスとそこまで変わらないのでグループだったら実費でもタクシーが楽かも。
2日間すごく早かったけれど、すこし不思議でリッチな経験ができて満足満足。
シアヌークビルはかなりオススメ!また行きたいと思う場所だし、カンボジア旅行に行く人は是非!
でも同じリゾート地とはいえども、地中海のリゾートやハワイとは違って、品がないというかやはり値段も他のリゾートに比べると安いせいかリタイアして住み着いてる人たちの品格がすこし怪しい印象でした。スキンヘッドの頭のてっぺんまでタトゥーが入った白人のおじいさんがいたり、、、
やっぱり若者向けかな〜?
ただあの特別な空気感と海に沈む夕日を眺めながらご飯やお酒を飲める贅沢な気分は他にはないシアヌークビルの良さだったりするのかも。
旅から帰ってまもなく半年が経とうとしていますが、長くなってしまった夏休みの思い出カンボジア編は一応これでお終いにしようと思います。
ブログには書ききれない経験が沢山あるのですが、ありすぎてキリがないので(笑)
それでも今回の旅を通して学んだことは多く、バックパッカーとして旅をする上で便利だった道具や失敗談、このブログを見ている人にもシェアしたいことがいろいろとあるのでそれはまたいつか別に機会に紹介したいと思います。
ままならない日本語でだらだらと書いてきましたが、定期的に読んでいただいていた皆さんありがとうございました。
2014年4月25日金曜日
夏休みの思い出 カンボジア 〜アンコール遺跡〜
ずいぶんと間があいてしまってトピックの鮮度が激落ちしていますが、やっぱり自分のためにも書き残しておいたほうがいいかなぁと思ったので、気を取り直して綴ります。
二週間とちょっとの滞在だったカンボジア旅行だけど、旅の7割はアンコールワットがあるSiem Reap(シュムリアップ)に滞在。旅の途中2日間だけ首都Phnom Penh (プノンペン)にも行ったけれど、日本の学生みたいに長期の休みがとれないような人は別にいかなくてもいいような。。。
っていうぐらいにSiem Reapという町はおもしろかった。
日が昇ってるうちは自転車を漕いで遺跡やマーケットを巡り、夜はPub streetに繰り出してパーティー。 そんな場所。
そんなSiem Reapだけど今回はカンボジアの代名詞でもあるアンコールワットを旅した話。
なんのリサーチもなく現地についたボクは、アンコールワットを甘くみていた。(いろんな意味で)
まずアンコールワットっていうのが1つの建物じゃないという事。笑
アンコールワットはアンコール遺跡のうちの1つの寺であって実はとても広い遺跡のなかには様々な建物がばらついている。 このアンコール遺跡を見て回る手段は基本的に2つでトゥクトゥク(3輪タクシー)かチャリンコ。もちろんツアーバスも走っていたけれど、これだとたぶんメインの建物いくつかを回るだけで、あんまり面白く無い。
というわけで気合いと元気があってお金が無いボクたちはもちろん自転車を選択。
自転車のレンタルは3日間で$6ほど。トゥクトゥクで数ブロック移動するのが$2〜3だからかなり割安。写真で分かる通り日本でもお馴染みのママチャリです。(TSマークや防犯登録のステッカーが貼ってあったので日本から送られてきた物なのでしょう。)
もちろんエクストラでお金を払えば前後油圧フルサスペンションのMTBを借りることも可能。←MTBを借りることをオススメしますw
遺跡に入るには必ずチケットが必要で、各遺跡ごとにブルーのシャツを着た係員がいてチケットをみられるのでなかなか厳重!
チケットは3種類あって、1日券($20)、3日券($40)、7日券($60)といった感じ。ボクたちは次の予定もはいっていたのでとりあえず3日券を。でも時間がある人は7日券を買っても損はないかと。
あとチケットを買う際に気をつけなきゃいけないのは購入場所。遺跡や寺にはSiem Reap中心部から様々なルートでアクセス可能ですが、チケットが帰るのは1つの場所でこれを知らずに自転車を漕ぎ始めると大変な目に遭います(笑)
そんな訳でアンコール遺跡に突入! 上の写真の川の向こうに見えるのがかの有名なアンコール・ワット。 小さく見えるけどめちゃくちゃデカかった。
なかにはとにかく観光客がたくさんいて正直そこまで楽しめなかった。
しかしこれからがアドヴェンチャー。チャリにまたがっては次のポイントまでひたすら漕ぐ。
道沿いに野生のサルがいたり、逆走してくる車にひかれそうになったり。
もちろん予想していないところで止まることもあるわけで。
そう、チェーンドロップ(笑)はっきり言ってレンタル自転車は当たり外れがあります。
友達の自転車は平気でしたがボクだけ運が悪くリアホイールのセンターがずれててフレームにタイヤがあたるしチェーンも落ちる。幾度かみんなのペースを崩しつつもたまたま持ち合わせたチャリの基本的ノウハウでなんとかサバイブ。一度はチェーンが引っかかってやばかったけれどもそんな時は通りすがりの現地の人が助けてくれました。小さい女の子とスクーターのおっちゃんありがとう。
あえて説明はしません。行ってみなきゃ分からない感動がありました。
アンコール遺跡は3日間で7,8個の建物を見て回ったけれど、ボク的にいちばんよかったのはたくさんの顔からできてる寺院Bayon(下の写真)のちょうど裏側にあった・・・
この建物↓
日本に帰って調べてはじめてこの建物の名前がBaphuon(バプーオン)って分かったんだけれど滞在中はそんな暇もなくとにかくこの寺院にはシンプルに心を打たれた。写真に写っているのはバプーオンから見下ろした入り口の部分で、建物本体はおおよそ30メートルくらいの高さで正方形。
むかし、ドラえもんの映画にでてきたようなでてきてないような。。。そんな建造物。
森の中にひっそり佇む宮殿。てっぺんまで登ることができなかったけれど一番上には大様のイスがあってもおかしくないようなところだった。
中に入れば今度はちょっと前に流行った携帯アプリ、Temple runにも似たような通路。
まさに神秘的な場所。
アンコール遺跡巡りで唯一この場所だけは二度訪れて、二回目はこの建物の上から日が沈むのをぼんやり眺めていました。
どうでしょう?写真ばっかりになってしまったけど、カンボジアのアンコール遺跡がどんなものか少しは伝わったかな?
写真も載っけて文章も書いてるけど、ただ一つ言えることは行かなきゃ感じられない、自分の目でみなきゃ伝わらない世界がそこにはありました。
もちろん、ブログには書いていない九死に一生を得たハプニングもあった。(言うほどやばくないw)
旅の掟はとにかく安全に帰ってくること、だけどその途中に起きたハプニングはいいもわるいも帰ってしまえばとても大切な思い出になります。
一歩そとに出てみれば、、もう一歩進みたくなるような冒険はじめませんか?
カンボジアの旅 第二回はアンコールワット周辺についてでした。
このシリーズもうしばらく続きます。
つづく。
2014年3月29日土曜日
夏休みの思い出 カンボジア 〜沼〜
カンボジアに行ってきた。
いつも仲良くしている友達がボランティアで1年前に行って、もう一回旅行で行くってことだったのでコレはチャンスだとおもって速攻旅に同行することに。
友達は長期でボランティアに行ってたから現地のこともある程度分かってるだろうしってことでボクはほぼノープラン。飛行機のチケットを取るだけ。
ガイドブックも買わなければ、ネットでもほとんどリサーチなし。
ボクは日本からだったので、ボクのほうが5日間ほど遅れる形で現地にて集合。
メルボルンの友達と日本でもオーストラリアでも無い国で待ち合わせるっていうのはなんというか不思議な感じでした。
全くのノープランでSiem Reapに着いたボク、しかし頼りにしていた連れも実は全くプランをたてていなかったのです。笑 さすがオーストラリアンですね。
日本の家を出るまでに予防接種を打っていないボクは両親に口うるさく蚊に刺されないようにだの犬に噛まれないようにだのいろいろ念を押されて旅立ったのですが、初日からレベル高かった。
空港に着くやいなや、トゥクトゥクにのって迎えに来てくれた友達ととりあえずホステルへ。1日目だから街のなかでも案内してくれるのかと思いきや、ボランティアをしていた孤児院に行くのだとか。言われるままについて行くボク。。。
孤児院の門をくぐるとたくさんの子どもたちが寄ってきて手を合わせて挨拶をしてくる。
どうやらそういう風に教えられているみたい。考えてみればそうだ、いくら孤児院にいても入って来た見知らぬ外国人に自然と手を合わせて挨拶はしないだろう。
けれどその子どもたちはボクの連れのボランティア時代の教え子。
ボクがボランティア先生の友達と分かると少し安心したのか笑顔と少しの自己紹介が待っていた。
訪問した時間が昼過ぎくらいだったこともあって中学生以上の子どもはみんな学校に行っており施設にいる子どもたちのほとんどが小学生以下、さっそくボールやら何やらを持ってきて一緒に遊ぶ。
30分くらいしてからか、どうやら男子ちびっ子軍団が「釣り」に行くみたい。とにかくついて行くことに。釣りって聞いていたから川にでも行くのかと思っていたら、乾きに乾いた道をあるいて畑の近くの沼へ到着。
マジか。。。
そりゃそうだボクはまだカンボジアに降り立って3時間も経っていないのに今、沼の目の前に立っているのだ。
次に気がついたのが、誰ひとりと釣り竿を持っていないこと。
マジか。。。笑
前を見ればもう子どもたちは沼の中に飛び込んでいる。そして友達も一緒になって。
沼に入るなんて予想していなかったボクは普通の格好にスニーカー、むしろお気に入りのT-シャツ。
もちろん躊躇した。
まず裸足になって沼に入ること、なにがいるか分からない沼もちろんビビる。
けど外から写真を撮っているうちに自分のなかの子供心というかなんかそういうのがでてきて吹っ切れちゃって上まで脱いで沼に飛び込んだ。
たぶんこれが今回のカンボジアの旅の分岐点というか今後の旅へのメンタル的な部分にも関係してくる大きなムーブだった。
入ってしまえばこっちのもの、みんなと一緒に網を投げてはたぐり寄せて5センチから10センチ程度の魚や小さなカニを捕まえる。
ボクも子どもたちも遊び感覚でワイワイやっていたけど、よく考えればこの魚は彼らのご飯なのだ。終着点を考えると体の小さな彼らはボクより遙かに逞しかった。
そんなことを考えながらも、最後はみんなで泥遊び。沼の泥を投げ合ったり追いかけ回して引っ張り合ったり。ほんの数時間で見知らぬ外国人は彼らの友達になった。
もう一度言うが、これはボクがカンボジアに着いた初日に起きたことで、ましてや着いて数時間後の話である。
ことばで十分な会話ができなくてもこころは通じ合える。そんな気がした旅のスタート。
つづく。
Getting myself together.
長い間放置していました。
ゴメンナサイ。
夏休みだったため3ヶ月近くブログをほったらかしにして遊びほうけていました。笑
いまはもうメルボルンに戻って学校も始まっております。(既に課題に追われているのはココだけの話)
いや〜今回の夏休みは内容の濃い夏休みでした。
これから数回に分けて書いてはポストしていこうかなと思っております。
お楽しみに!
2014年1月13日月曜日
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