<Leica M6, Voigtlander Color-Scopar 35mm f2.5>
うれしいことに最近ボクの周りは留学に行く/行った人が増えてきている。これは日本の友だちに限ったことじゃなくてメルボルンの友だちも含めてだ。
そういうボクだって一応「留学」というかたちでここメルボルンに長々と居残ってる。
留学してる時間だけだったらまわりの人よりは経験があるせいか少なからず留学の相談を受けることがある。そして相談してきた人たちには必ずといっていいほど留学を勧めるようにしている。もっと言うと留学というより「海外に行って生活をすること」を。
普段はその理由をそこまで深く話さないのだけど、せっかくだからこの機会にボクの考える「留学」をシェアしようかと思う。
あくまでもボクのね。
・留学する≠英語ができるようになる
これは英語に限らず留学する国の言語すべてに共通する話だと思うのだけれど、自分が英語圏にしか留学したことがないので英語を基準として話したい。
そもそも「英語ができる」ってなんだ?
スムーズな会話ができること、文章がすらすら読めること、何をどのレベルで「できる」と定義するのかはなかなか難しいことだと思う。
けれども、上に書いた話すこと、読むこと、書くこと、そういう一般的に「英語ができるようになる」の基準とされているものは正直留学しなくても身につけられる。
きちんとしすぎて間違っているんじゃないかと感じるくらいきっちりとした文法をを教え込む日本の英語教育、単語だって大学受験で覚える英単語の数は尋常じゃない。そんな環境が整っている国だ、それなりに勉強すれば「英語はできる」ようになる。会話だって英会話教室があれば通信教育もあってネイティブと話す機会は山ほどある訳だし、金銭的にも留学するのに比べたら安く収まるはずだ。
じゃあなにをするのが留学なのか?
ずばり、異国で生きることが「留学」だとボクは思う。
・異国で生きるって?
これまたかなりブロードで曖昧なことをでっかく書いてしまったけど、要するに「この留学で英語が話せるようになるんだ」という概念を取り除いた生活をすること。
それはカフェに入ってコーヒーを飲む事だったり、招待されたパーティーに顔を出したり、といったありとあらゆる日常生活。ピンと来ない人も多いだろう、けれどこのどうでもないような日常を当たり前のように過ごしていくことがまさしく「留学」なのではないかと思う。
ここではじめに書いた「英語ができるようになる」の話に戻りたい。
不思議なことにこの異国の地での生活を上手に送れるようになってくると次第に英語力も上がってくる。留学や海外に行ったことがある人に聞いてみるといい、彼らは何かをするために英語を勉強したという経験より何かをしたから英語を勉強できた経験のほうが多いのではないだろうか?
つまり「英語ができるようになる」というのは留学についてくるオマケみたいなものなのだ。
・どこに留学したっていいんじゃない?
これは特に大学の留学システムの一環で留学を検討しているひとに多い質問。ボクは正直どこに行ったっていいんじゃないかと思っている。
こんな事を書くと、また他人事の様に扱ってというような反感を買う羽目になるのだが、これは自分の経験をもとに言ってることで決して考えていない訳では無い。
ボク自身はじめてメルボルンで通った学校は名前も通らない小さな男子校だった。
留学生はボクが初めてで、システムだって整っていなかったし、あとあと気づいたのだけれど、結構悪ガキが多いということで有名な学校だった。
けれど、この学校に通ったことがボクの留学生活にとても大きな影響を与えたのは確かだし、ここに通えたから今のボクがある。
たしかに大学生にもなると、留学先の大学のネームバリューも気になるかもしれないけれど、プロフィールは意図して作るものではないと思うし、どちらかというといろいろな経験を通して自然とできあがったプロフィールの方が評価されるんじゃないかと思ってる。
ましてや母国の大学に籍があっての留学なんだったらなおさら。そんな心配をしている時間の方が勿体ない、とりあえず行かないと何もはじまらない。
・お金
お金のはなしも少しだけ。
だいたいだれでもが口を揃えて、留学は金がかかると言う。
確かにかかります。
でももしあなたが家族のひとから行きたいなら行ってもいいという金銭的なサポートをしてもらえるラッキーな人なのなら迷ってる暇はないと思う。是非その言葉に甘えるべきだ。もしそうでない場合でも留学は不可能ではない。半年や一年行くから「留学」なのだろうか?一ヶ月でも現地の生活をすればそれは「留学」だとボクは思う。
一ヶ月くらいだったらバイトでも何とかできる金額で収まるはずだ、奨学制度を行っている学校や組織も少なくはないはずなのでチャンスは決してゼロではない。
というよりその肩に掛けているバッグやポケットに入れてるブランド物を買うお金があるならば行けない理由なんてどこにもないはず。
あと留学中のお金の使い方について。
ボク自身長い間メルボルンにいるのでたくさんの留学生を見てきた。
そのなかでも上手に留学できてなかった人に共通するのは「ケチ」だったこと。
少し言い方が悪いかもしれない、けれど海外まできてケチなのはむしろ勿体ないのだ。
コーヒーやビールの一杯二杯で躊躇してたらなにも始まらない!そのグラス一杯のビールが生む出会いや経験を考えるとむしろ安いくらい。フルコースのディナーに招待されている訳じゃないのだから招待されたイベントには少し財布が痛くても思い切って行くべきだと思う。きっといいことがあるはず。
・海外の日本人コミュニティーは案外おもしろい
最後に留学先での日本人との関わり方を話して今回のブログを終わろうと思う。
個人的には、ライフスタイルからどっぷりオーストラリアにはまっているので日本人との関わりはほとんど無いのだが、決して無い訳では無いし、特に避けているわけでもない。
ボクの場合はただ巡り会う機会がなかなかないだけ、だから一つ一つの出会いは大事にするように心がけている。留学に来て日本人グループと固まってしまうのはよくあるNGパターン。特に語学学校だったりはどうしても現地の人間が少ないので固まりやすい。
たしかに海外にでてきて心細いときに同じ国の人が近くにいると安心する、けれど勇気をだしてその輪の中から一歩飛び出してみよう、新しいホームがあなたを待っている。
異国の地で自国のシェルターの中に暮らすのは安心だけれど、外の空気のおいしさは出てみないと分からないもの。
かといって、日本人との繋がりを切ろと言っているのではない。
海外に出てきている日本人はユニークで面白い考えを持っている人がたくさんいる。そういう出会いはとても大事だと思うし、これもまた留学のメリットなのではないだろうか。
要するに重要なのは日本人コミュニティーの中だけに留まらないようにすること。
海外まで出てきても「井の中の蛙」状態のひとはたくさんいます。なるべくそうならないように勇気を出して自分を外の環境にexposeしよう。
読み返すとなにかと偉そうに書いているように見えるけれどこれがボクなりの留学に対する考え方。
決してこれが正しい訳ではないし、そもそも留学に正しいも正しくないも無いと思う。それぞれに違った「留学」があるはずだ。ただボクのこの記事を読んで、すこしでも留学へのかたい考えがほぐれてこれから新たなスタートを切ろうとしているひとたちの参考になれば嬉しい。
周りの人が留学に行くことはボクにとってとても喜ばしいニュースだし、すごくいいインセンティブになっている。メルボルンに来て早6年、緊張感の全く無い毎日を送っている自分がいかにうまくこの国に溶け込めたかを考えるとこれまで頑張ってきたなと思える一方で、そろそろ新たな刺激を受けるときなのかなと考える今日のこの頃。
久しぶりにそんな事を考えて文章にしてみました。
おわり
0 件のコメント:
コメントを投稿