2014年10月28日火曜日

いつの間にかテクノロジーに支配されるようになった僕らの生活



自由に見て、自由に感じて、自由に味わう生活を少しずつ取り戻して行きたいなぁと思いました。

2014年10月19日日曜日

ありがとうキャンディー




おととい、10月17日にキャンディーは星になりました。

うちの家にやってきて14年と半年、ボクの人生の半分以上の時間をいっしょに過ごしてくれました。時間が経つのは本当にはやいもので、いつの間にかキャンディーが一緒にいるということがボクや家族にとって当たり前のことになっていました。
けれどもこの3日間でいろいろな思い出を振り返ってみると、どの思い出にもキャンディーがいて彼女の存在がいかに大きいものだったかを改めて感じました。


〜縁があってうちに来ることになったキャンディー。
手だけやたらでかくてぽわぽわした赤ちゃんキャンディーはスクーターのハンドルにぶら下がったトートバッグの中にはいってうちにやってきた。
おもちゃであげるぬいぐるみは一日も保たずにやぶかれるし、庭に穴掘るし、とにかくわんぱくで家のフローリングは傷だらけ。

そんなキャンディーも工藤家の一員として英才教育を受けるため一年間訓練所に。
まだ小っちゃいのに訓練所で頑張ったキャンディー。
もちろん帰って来たキャンディーはお利口さん。けどボクの言うことは今まで通り無視。
ボクが小学生の間は家の庭でいっしょにサッカーをしたり、飼ってたウサギを家の周りをグルグル走り回って追い回したり。

そして小学4年生、ボクと両親は1年間オーストラリアに。その間もひとりで留守番してたキャンディー。日本に帰って来た時におじいちゃんの家までむかえに行った時の鼻で鳴きながら飛び回って喜ぶキャンディーの姿が忘れられない。

旅行にだって沢山いった。
鹿児島のキャンプでは川の石にちょこんと座って釣りをしてるボクの監視。
倉敷にも一緒に行った。
広島にも行って一緒にフェリーで宮島もいった。

おとなになったキャンディーはずいぶんと落ち着いて、人見知りをしないきれいなお姉さんになった。散歩に行くと大抵だれかに声をかけられる。
バナナやビスケットをくれるおじさん達にも愛想良くふるまって、おやつをもらうとクルッと振り向いて帰ろうとする。外面よすぎ。

そんなキャンディーは家でもいい子だった。
基本クッションで寝てるかなにか食べてるかのどちらか。だけれど、朝はお父さんの目覚まし係だったし、ケーキやパンを焼くお母さんにとっては試食係だった。
家族のだれかの体調が悪かったり、機嫌が悪いときはすぐに察して横に駆けつけてくるキャンディー。ビショビショの鼻でぐいぐいつついてきてみんなに元気をくれた。

好物は、ドッグフード以外全部。けれど特に好きだったのはお母さんの作るパンとケーキ、羊羹、カステラ、バームクーヘンといった高級菓子に分類される物、車エビ、マグロの中落ち、さしみ。
食べる?って言葉にはやたらと敏感で、耳をピクピクッって寝ながら振り向くキャンディー。お菓子の袋を開ける音やコーヒーを入れる音がしたら階段を上がってくる寝坊助キャンディー。

でもキャンディーも年をとってきたのか次第に階段の上り下りが難しくなってきた。耳も遠くなったけど、それでもお菓子の音には反応して上がってきてた。
本当は耳が遠くなったフリをしてめんどくさいボクを無視してたのかも。
寝る時間も前より増えて一日の半分くらいは寝てたかもしれない。
それでもキャンディーは僕たちに愛をくれてたし、ボクらの関係は何も変わらなかった。

写真をみるとよく分かるんだけれど、僕たち3人の間にはいつもキャンディーがいた。
お父さんがソファーでテレビを見ていてボクがパソコンをいじってるときも間にはキャンディーがいた。キャンディーが居たから会話も増えた。どうでもいい事でもキャンディーに話すだけでぜんぜん気持ちが楽になった。もちろん家族間の会話も増えた。
今思うとキャンディーはうちの家族の中心だったんだと思う。〜


キャンディーとのたくさんの思い出を書き出してみたけれど、これでもまだ全然書き足りません。14年という時間はとても長いもので、思い出せない記憶だってあります。
「キャンディー」という名前を付けたのはボクだけれども、なんでキャンディーなのかははっきりとは覚えていません。でも綿菓子のようにほわほわして毛並みのいいキャンディーにはぴったりな名前だったんじゃないかと思います。
でも、そんなキャンディーがいなくなったのかと思うと寂しくてしかたがありません。
ボクはまだキャンディーの居ない家に帰っていないので実感がなくて不思議な気持ちだけど、現実と向き合っている両親のことを考えるととても辛くなります。
いつも日本に帰ると玄関のドアを開けるとキャンディーが待っていて、写真を撮るのが恒例だったのにこれからはそれもできないと考えると一気に感情がこみ上げてきます。

けれども、いつまでも下を向いたままではいけないなと少しずつ思うようになりました。
こころにすっぽり穴が空いたような気持ちだけど、それを理由に何かが手抜きになるのはキャンディーに失礼だし、辛い現実だけれども命あるものにはかならず終わりがある。
ボクにもいつ死が訪れるのか分からない、だったらキャンディーがそうだったように毎日を一生懸命生きて人生を生きぬくのが一番なのかなと。
そして大切な事は今のこの気持ちを忘れない事。
そのためにも今日この文章を書くことを決めました。

キャンディー、まだまだキャンディーの元に行くに値するような事を成し遂げられてないからそっちで会えるのはまだ先になるだろうけど、そのときは天国の玄関でしっぽを振っていつもみたいに迎え入れてください。

ありがとうキャンディー


長くなったけれど、さいごに一曲。
この曲は2年ほど前にたまたま出会った曲。かなしい歌詞で一度聴いたっきりキャンディーがいなくなるまで聴かないと決めてたのだけれど、とうとうその日になってしまいました。曲のビデオに出てくる犬も、優しい顔をしたゴールデンで年も14歳だったみたい。
重なる部分が沢山あるから辛いけれど、ペットを飼う人間だれもがいずれ直面する「その日。」きちんと受け止めるのも飼い主の役目なのだと思います。
犬を飼っている人、同じ境遇にある人、毎日を大切にして接して上げて下さい。